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学習データ

データが見落とすもの、数字の向こうを見る先生の目

ラーニングアナリティクスが測れない学びの領域と、だからこそ重要になる先生の役割を整理します。

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このシリーズでは、学習データをどう集め、どう読み、どう活かすかをずっと扱ってきました。最後に反対の方向を見ます。データが何を見せてくれないのかです。すべてを測ろうとする欲は、測れないものを取るに足らないものにしてしまいます。ところが、教育でいちばん大切なものはしばしば数字にとらえられません。データの限界を正確に知ることが、データをうまく使うための最後の条件です。

データがとらえられないもの

次の四つは、どれほど精緻なダッシュボードにも最後まで表示されません。

  1. 変化の種が芽吹く瞬間: ある生徒が今日はじめて手を挙げて質問を投げかけたという出来事は、点数が上がる数か月前のことなので、指標の上では何の変化も見えません。 しかし、その一度がすべての始まりになりうるのです。
  2. 努力の手ざわり: 同じ30分でも、必死に食らいついた30分とぼんやり過ごした30分はまったく別物です。学習時間のデータは、この決定的な違いを知りません。
  3. 関係と信頼: 先生をようやく信じはじめた生徒の心は、どんなログにも記録として残りません。しかし、その信頼がその後のすべての学びを支えます。
  4. 学習がゆっくりな生徒の本当の飛躍: 測定の周期のあいだに静かに起きた気づきは、次の試験が来るまで数字には表れません。

測定できるものがすべて重要なわけではなく、重要なものがすべて測定できるわけでもありません。

数字と人の目を併せて使う

だからデータは先生に取って代わるものではなく、先生を補うものです。二つは役割が違います。

  • データはどこを見るかを教えてくれ、人はそこで実際に何が起きているのかを見ます。この役割分担を逆にして、人が数字を追いかけはじめると、両方とも壊れてしまいます。
  • 数字がよいからといって無条件に安心せず、数字が悪いからといって早まって決めつけないようにしてください。データは結論ではなく、対話の出発点にすぎません。
  • 測られない努力をあえて認めてあげること、それがデータの時代にかえって大きくなった先生の役割です。

逆説的ですが、データを深く扱ってきた先生ほど、データの限界をよく知っています。数字を十分に見つめた人だけが、どこで数字が黙り込むのかに気づけるからです。ですから、データに慣れることとデータを盲信しないことは矛盾ではなく、ともに育っていきます。よい道具を持つほど、その道具が届かないところを人の目で埋めなければならないという責任も、あわせて大きくなります。測定は教育の一部を照らしてくれるだけで、教育の全体に取って代わることはできません。

まとめ

ラーニングアナリティクスはたしかに強力な道具ですが、教育のいちばん深い部分は最後まで数字の外に残ります。 変化の種、努力の手ざわり、関係の信頼は、どんな指標でもとらえられません。データは先生の視線を導くだけで、決して代わりに見てくれるわけではありません。数字をうまく使う先生とは結局、数字が止まるその場所で人の目を灯す人なのです。

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